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哀愁の秋。

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スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋と言いますが、秋は気候も穏やかで1年を通して最も過ごしやすいため、色々な事に挑戦するのに非常に都合の良い季節なのです。
しかし、自称ポエマーの私は少し捉え方が違います。

スポーツでも、読書でも、食欲でもなく、秋とは哀愁を感じる季節なのだと。

哀愁の「愁」の字の中に秋という文字があるという詰らないことではなく、秋に吹く風や、それによりゆらゆら落ちる葉、空気の温度や夕日の沈み方等色々な時に哀愁を感じます。
ただし哀愁と言っても必ずしもマイナスな気持ちではないという事を予めご説明しておきます。

哀愁とは、一般的には寂しさや悲しみといった意味ですが、私は翻って哀愁の中の「懐かしさ」の部分に趣を感じるのです。

これをより噛み砕いてシンプルに説明しましょう。

それは別れた恋人との甘酸っぱい記憶というものでしょうか。
そういったモノを感じるのが好きです。

殆どの人が恋人との別れを経験していると思いますのでそれを前提にお話します。

例えば、恋人とのデートで訪れたカラオケボックス、歌うのは決まってその曲でした。
別れてからその曲を聞くと、恋人の笑顔や泣いた顔、喜んだ顔や困った顔などを思い出されます。

例えば香水の香り。いつもその子は決まった香水を付けていた。
別れてから数年、街中ですれ違った人から同じ香水の香りがしたら、2人で手を繋いで歩いた公園の風景が浮かんでくる。

例えば、オシャレなレストランの料理。
恋人と別れてから数年ぶりに同じものを食べてみると、無邪気に頬張っている恋人の顔が想像されます。

例えば、夕日に照らされた砂浜。
別れてからその砂浜で夕日を見ると、まるで隣に恋人がいるかのように、くだらないことで喧嘩をした、若き日の2人が目に浮かびます。

人は視覚から捉えた情報によりあらゆるイメージを形成しますが、実は数年経つと、嗅覚や聴覚、味覚の方が鋭いので無いのかと驚かされます。

もちろん別れた恋人に未練がないことが前提ですが、秋という季節はそういった事をより敏感に、そして顕著に感じます。

ただし今は前向きに生活しています。
従って思い出された頭のなかのイメージに懐かしさを感じますが、自分も大人になったのだと、成長したのだと思い、いつもと何ら変わらない生活に引き戻されるのです。