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鯨ヶ池伝説。

【鯨ヶ池伝説】

葵区下にある『鯨ヶ池』。
賤機山の付け根の西側、安倍川の背後湿地に水が蓄えられたもので、そのほとんどが安倍川の伏流水です。

水深は2メートルほどと比較的浅く、水面は安倍川よりも低いです。
釣り人には広く知られ、市民に馴染みが深い場所です。

皆様はこの鯨ヶ池に2つの伝説が有るのをご存知でしょうか。

一つは、昔、水見色(中藁科村)の杉橋長者の娘のもとに夜な夜な美しい若者が通うようになりました。

ところが、娘が次第に痩せ衰えていき、心配になった母親は娘に太布(木の皮の線維で織った布)の糸をその若者の裾に縫い付けさせ行方を追っていくと、足久保の山の上の古池の主の牛であることが分かりました。

長者は怒って焼いた石を沢山池に投げ込んで水を熱すると、池の主のまだら牛はこらえきれずに鯨ヶ池に逃げ込みました。

この時、焼け石で片目を失ったので、鯨ヶ池の魚はみな片目だけといいます。

もう一つが、鯨ヶ池の由来ですが、昔、下村に鯨ヶ丘と呼ばれる岡がありました。

天平19年に突然鯨の潮吹きのように霊水が湧き出し、池となりました。
溢れ出る泥水が民家などを飲み込み田畑などを荒らしたので里人らが神々に祈ると、「ここは霊場なので、永久に清水を湧き出させ、日照りの患いを無くしてやる」とのお告げがあったそうです。

そこで里人は、早速、神酒を池に注いで水神に捧げると、泥水はたちまち浄水となりました。
戦国時代、国守の今川氏は代々この池の水を用水に引き、徳川家康も駿府城の堀の用水としました。

正徳三年、安倍川が氾濫し、鯨ヶ池付近は冠水してしまいました。神意を問うと、「祭りを怠ったためだ。これからは弁天を安置し、年々祭りを怠るな」というお告げがあったようです。

そこで、足久保の方明寺の弁天像を譲り受けて、池の側に奉り、3月3日に神酒を献じて祭りをすることとしました。

それからというもの水害は無くなり、今もなお、こちらの地方ではこの祭事が続いているようです。

以上の2つの伝説、知っていたでしょうか。
同じ静岡市に住んでいても中々分からないものですよね。

あなたの住んでいる地域にはこういった伝説はありませんか。
時代や歴史のルーツを辿り、住んでいる土地の過去を知ることも面白いかもしれません。