夏目漱石の雑学。
東西に大きく伸びる静岡県は、数多くの地名や文化、言われや慣習など、その場その場で数多く存在します。
そういったところをじっくり観察していくと、今まで知らなかった新しい発見や、ルーツなどに触れられ、ますます静岡県を好きになることが出来ます。
そこで今回は、静岡人にも余り知られていない雑学をご紹介しましょう。
今回ピックアップするのは、明治の文学史上の偉人である『夏目漱石』についてです。
夏目漱石といえば坊っちゃんや吾輩は猫である、三四郎やこゝろなど、数多くの作品を排出し、現在でも数多くファンがいます。
夏目漱石と静岡県の関係はそこまで濃くありませんが、病気療養のために修善寺温泉に滞在していたことがあるのです。
【修善寺の旅館にアイスクリーム製造機】
極度の甘党だったことで知られる夏目漱石ですが、特に砂糖に漬けた南京豆が大のお気に入りだったようです。
そんな漱石ですから、胃潰瘍療養のために訪れた修善寺でも遺憾なく発揮されました。
滞在した旅館は伊豆の山奥にあったため、甘いものなどあるはずもありませんでした。
それに飢えた漱石は、妻の妹の夫であり名古屋高等学校の教授である鈴木禎次に頼みアイスクリーム製造機を山奥の旅館まで届けさせたようです。
明治の世界にはまだまだアイスクリームは高級品とされ、それを製造する機械を自宅に持っていたのですから、いかに甘党だったということも良く分かります。
【夏目漱石の驚くべき死因】
夏目漱石はあくまで療養のために修善寺に来ており、本来は体調を気遣った料理を食さなければいけなかったのですが、奔放な食生活をしていたためそれが寿命を縮める事となりました。
体調不良を押し切り出席した弟子の結婚式では目の前にある砂糖漬けの南京豆の誘惑に勝てず、大量に食べたことにより、胃潰瘍が悪化して死に至ってしまったようです。
【死の淵に放った一言】
漱石の最後の言葉として胸をはだけて「ここに水をかけてくれ、死ぬと困る」と言ったと伝えられています。
また意識不明になった時には「何か食わせてくれ」とも言ったと言われています。
そしてワインを少量飲ませた所か細い声で、「うまい」と言ったようです。
最期まで食に対して貪欲で人間味のある漱石であったから、人に愛され続ける作品を書くことが出来たのかもしれません。
ちなみに漱石は修善寺以外にも静岡県では興津に滞在していたようです。
また、漱石が帰った後、源頼家を描いた「修禅寺物語」が発表されたことや、それが後に舞台化されたことにより、修善寺には観光客がどっと押し寄せ療養所というようなイメージはかき消されたようです。
以上が静岡県民でも知らないような雑学の数々です。
初めて知ったことがいくつもあったのではないでしょうか。
明日皆に話せる雑学ではないでしょうか。
この他にも雑学や発見は色々あるかもしれません。
自分で探してみるのも面白いでしょう。
参考文献
杉村喜光著
静岡県の雑学「知泉」的しずおか