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江川太郎左衛門とパン、韮山反射炉の雑学。

東西に大きく伸びる静岡県は、数多くの地名や文化、言われや慣習など、その場その場で数多く存在します。
そういったところをじっくり観察していくと、今まで知らなかった新しい発見や、ルーツなどに触れられ、ますます静岡県を好きになることが出来ます。

そこで今回は、静岡人にも余り知られていない雑学をご紹介しましょう。
今回ピックアップするのは、『江川太郎左衛門とパン、そして韮山反射炉』についてです。

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何だかまとまりの無いようにも思えますが実は全て「韮山」という地が関係しています。

【日本初のパンは韮山で作られた】

フジテレビがあることで知られている東京都はお台場。

観光地としても人気を博しますが、明治維新の際に黒船などを迎え撃つために大砲の砲台を設置した場所を意味する地名なのです。
そしてそのお台場で総指揮官をした人物こそが江川太郎左衛門でした。

この江川という人物は中々素晴らしい行動力を持っていて、長崎出身で洋食を学んだ料理人を呼び寄せ日本人の手で初めてパンを作ったとされています。

江川がパンを作らせようと至ったのには理由があり、当時山に篭っての訓練の際には握り飯を持って行ったのですが、数日にわたって訓練をするため、腐ってしまうことに頭を悩ませていたようです。

この打開策として現地にてご飯を炊くという案が出たようですが、それではかえって敵襲に自らの居場所を教えてしまうということにもなるので棄却。
耳の良かった江川はナポレオンの遠征中はパンを食べていたという事を聞き、その長期保存可能な携帯食を取り入れたとされています。

ちなみに訓練に参加している者にとっては、パンがご飯の代用品としては認知されていなかったため、パンを食べた後に食事を促す声が跡を絶たなかったと言います。

【江川は言葉考案のプロ】

当時日本で行われていた訓練はオランダ式で、号令などはすべてオランダ語を使用していたようです。

しかしいまいち理解できなかったので、江川は日本語で号令を行うことを提案したようです。
最初は直訳でしたが、少しずつ言葉を変え、今でもその言葉たちは日本陸軍や学校訓練にそのまま残されています。

また、現在の体育の授業などで使われる、「右向け右」「まわれ右」「前へ進め」なども江川によって考案されたようです。

【江川はあの言葉も訳した】

江川はこのように多くの言葉を考案しましたが、晩年はアメリカ式の考え方などを理解するよう努めました。

最初は英語力と造船術、航海術などの知識を得るために近づきましたが、ジョン万次郎から聞くアメリカ式の考え方にいたく共感したようです。

現在江川の屋敷には「民々亭」と書かれた額が残されていますが、実はこの言葉はジョン万次郎から聞いたアメリカ合衆国の大統領リンカーンによる建国精神「人民の人民による人民のための政治」を日本語で書いたものだったようです。

【日本初の反射炉、世界唯一の反射炉】

先ほどのお台場に設置された砲台ですが、これは純日本産で伊豆で作られ運んできたもののようです。

砲台を作る反射炉はもともと江川邸に造られましたが、幕府に許可を得て下田へと移設されたようです。
白羽の矢を下田に向けた理由はその後の運搬を考えてのようです。

しかしその下田に翌年ペリー一行が乗った黒船が接岸しました。
しかも上陸したアメリカ人達は下田の町を我が物顔で散策していました。

反射炉の存在は突き止められたくないため急いで韮山へと再度移築したようです。

尚反射炉を設立するために建築資材としてレンガを使用したことも日本初のようです。

日本で反射炉が造られたのは江戸時代末期からですからその後反射炉より生産性の高い高炉が考案されたことにより、遺跡自体が残されていないことが多く、完全な形で残されているのは日本で韮山反射炉のみのようです。

また西洋でも高炉への切り替えが進み反射炉を壊していたので世界で唯一の当時のままの反射炉があることでも有名です。
以上が静岡県民でも知らないような雑学の数々です。
初めて知ったことがいくつもあったのではないでしょうか。
明日皆に話せる雑学ではないでしょうか。

この他にも雑学や発見は色々あるかもしれません。
自分で探してみるのも面白いでしょう。
参考文献
杉村喜光著
静岡県の雑学「知泉」的しずおか