静岡スタイルは、静岡クレールに新しく変わりました!

空前にして、絶後のラーメン店 [パイタンラーメン キャトル]

カップに揺蕩うミルクを思わせる真っ白なスープ。立ち上る心地の良い脂の香気には全く嫌味がない。
差し入れた蓮華はスルリともとろりとも違う感触を指先に伝えた。
掬ったそばからとろけて零れ落ちてしまいそうなほどに滑らかなそれを、恐る恐る、しかし待ち切れない心持ちでひとくちだけ、そっと唇へ。
下ろした蓮華は器の縁へ置き去りにしたまま、すばやく箸に持ち替える。白く底知れぬ波間からつるりと引き出された麺は、透き通るような淡黄色をして、その身の内に時折含まれる白っぽい粒がしなやかな姿を彩っていた。
程よくスープが絡み、内から発光するようにじわりと輝く様はまるで、古代の秘めやかなる遺物を閉じ込めた琥珀を練ってのばしたようにも見えた。
行儀が悪いだの、なんだの、と言っていられない魅惑。一張羅に汁が跳ねるなんて思案は、あのとき頭の片隅にもなかった。
一息で啜り、頬張る。

静岡のラーメン史においてこれは空前である。そしておそらく絶後である。
そう、思った。

【またひとつ、新しい一杯が生まれた】

私の住まう静岡県静岡市には、「これ」といったラーメンがない。
というのも、例えば北は北海道札幌市には「札幌ラーメン」、南は九州福岡県博多市には「博多ラーメン」という風に、全国各地には「銘」のあるラーメン文化が存在する。
となりまちの藤枝や焼津には、なるほど、淡麗な「志太ラーメン」がある。
しかしそれは不思議と、「喜多方ラーメン」とその周辺地域である福島県会津地方がほとんど同一系統のラーメンばかりを尊ぶようには伝播しなかった。
確固たる「うちのラーメン」を持たない静岡の街には、各地から流入した多種多様な形態のラーメンが溢れかえっている。
ごく細い麺に豚骨スープを合わせた九州系や横浜からやってきた家系を始め、東京醤油豚骨を称するものや鶏パイタン、そして所謂中華そば。もはや群雄割拠の様相を呈していると言っても過言ではないだろう。
その中に新たなる一石を投じたのが『パイタンラーメン キャトル鷹匠』である。

この記事をご覧の皆様ならば、おそらくパイタンというものをご存知かもしれない。
パイタンというのは漢字で白湯と書くように、白く濁ったスープのことである。
原材料となるのは動物の骨、所謂「ガラ」で、静岡市内でも豚骨や鶏ガラから抽出したパイタンをスープとして用いたラーメンは評判を呼んで久しい。
キャトルの店主である堀内さんによると、それらの素材を強火で煮込み、脂肪とゼラチン質を乳化させることによって、不透明な真っ白のスープができあがるのだという。
乳化というのは、油分と水分が微細化して混じり合うこと。親しみのあるものでは、マヨネーズもこの乳化を行うことであの白い状態を保っている。

パイタンのひとつである豚骨スープは今や全国的にメジャーな地位を得ているとはいえ、真っ白いスープのラーメンというのはそれほど一般的ではない。やはりラーメンといえば、淡い褐色のスープに黄色の中華麺がやや透けて見える。といったスタイルがトラディショナルだ。

ラーメン店を新規出店するにあたって、なぜどちらかといえばマイノリティなパイタンラーメンを選択したのだろう。独立開業をする以前に修行していたラーメン店がそういったラーメンを作っていたのだろうか、と堀内さんに尋ねてみた。
「いえ、修行先のラーメンは全然違いましたし、最初は丸鶏主体の淡麗系のあっさりとしたものを考えていました。しかし、いざ食べ歩いてみると、自分の地元や、周辺の地域には、そういった淡麗系ラーメンの本当に美味しいお店がたくさんありました。ですから、せっかくやるなら、全く違う種類のものにしたいと」
人の良さそうな、にこやかな笑みで堀内さんは言った。
「選択肢が多い、というのは楽しみだと思うんです」

ここで、「パイタンラーメンならば他にもあるだろう」と思った方もいらっしゃるかと思う。
近年静岡市内で人気を博している鶏パイタンラーメンの例もある。
しかし、キャトルのラーメンに使われているパイタンスープには、他とは違う理由がある。
その答えは、店内に飾られた愛らしく小さなフィギュアを見てほしい。豚、牛、鶏、仔羊(ラム) という4種の動物を模られた手のひらサイズのそれ。
お察しの通り、この動物たちの骨を、ひとかかえもある大きなラーメン用の圧力寸胴鍋で煮込み、パイタンスープを作り上げているのだ。
深みと芳醇さのあるスープを求め、堀内さんは4種もの素材を使うことに決めたのだそう。
「濃厚豚骨とは違う、クリーミーであっさりした、どちらかというと薄めで優しい味にしました」
その言葉通り、真っ白でどろりとしたクリームシチューを想起させるような色合いながら、味わいやテクスチャにしつこさは全くない。きめが細やかで上品な脂は丁寧に煮込まれ水分と混じることで、サラリとした口どけ、舌ざわり、そして滋味とでも呼ぶべき柔らかでありつつ六腑の底に染み渡る味わいを共存させている。

素材の持つ「いのち」そのものが溶け出して、その粋だけを贅沢に掬いあげたような印象とでも言えば適切だろうか。

ラーメンという料理において、二本の柱とでも言うべきなのが「スープ」そして「麺」であることはもう自明の理であろう。
研究を重ね、たとえ究極に限りなく近いスープを作り出したとしても、それが麺と合わせたときにお互いを引き立て合うことができないのなら、残念ながらラーメンとしては成立していないと言わざるを得ない。

果たして、パイタンというそれほど一般的ではないスープに対して、どういった麺を合わせるべきか。
堀内さんが出した答えが「全粒粉」を使用した麺である。
普通、ラーメンの麺に使われる小麦粉は小麦の胚乳のみを挽いて粉にしたものだが、全粒粉は胚乳に加えて表皮や胚芽といった部分も合わせられている。その分栄養価が高いと健康志向の人々には近年話題となっているが、それだけ純粋な胚乳のみの小麦粉に比べて雑味が多いのではというのも懸念される。

しかしキャトルではそこを逆手にとって、極めて優しい味のスープに合わせるに相応しい、しっかりとした麺を作り上げた。
パイタンスープをしつこく引っ張り過ぎないように、と気を遣い、京都の製麺所と相談を重ね試行錯誤の末に出来上がった全粒粉麺は、見た目からして普通ではない。
箸でつまみ上げられた麺は、器の底が全く見えないほどに白いスープとは打って変わって、内側がほんのり透けるようにすら思えるほどの瑞々しさが見て取れる。そしてやや細身の麺の内部には、ラーメンとしてはおよそ見慣れぬツブツブとした何か。これは、全粒粉を使っているからこその特徴だ。

乳化したスープのヴェールを纏ったそれを啜ると、ひと口目から確かな存在感を放っている。
もちろん、スープの持つ味わいを損ねるようなものでは決してない。しっかりとした小麦の味、香りを伝えながらも、つるりとした舌触りともっちりとした歯ざわり、スープの脂と適度に絡まり、滑らかな啜り口でもって更なるひとくちを誘ってやまない。

【ラーメン以外、ラーメン屋ではない】

茹で上がった麺を、手慣れた動きで湯切りする堀内さん。
堀内さんは、これまで長年に渡ってラーメン作りを生業としてきたわけではない。キャトル開店以前にラーメン店で修行をしたが、その前職はエンジニア。
「出張先で疲れたときに活気のあるラーメン屋さんを見かけると、元気が出てくるような気がして。いいな、と思っているうちに自分でもやりたいな、と」
その夢を実現するキッカケとなったのがリーマンショックだ。当時自身で興していた事業は、目に見えて利益が下がっていった。
「どうせやるなら、やっぱり好きなことをやりたい」
その想いを胸に、これまでに国内外の様々なラーメンを食べ歩いてきた生粋のラーメン好きは、全く畑違いの分野へと飛び込んだ。

予め暖められた黒い丼に、熱いスープが注ぎ込まれると、側面から底にかけて描かれた大きな赤い星の4分の3ほどがすっかりと隠れてしまった。そこに手早く麺を沈め、具とトッピングを盛り付けていく。
ラーメンにおける具、トッピングの主な目的は、やはり味に変化を持たせるということだろう。キャトルにおいても、そこは変わらない。
きめ細やかで柔らかな味のパイタンスープは、トッピングによって印象が様変わりする。
堀内さんが丼の上に乗せるべく選んだのは、掛川の甘露醤油を始めとした数種の醤油をブレンドしたタレで煮込んだ自家製のチャーシュー、ネギを油でじっくりと炊き込むことで香ばしさとネギの芳香を移したネギの香味油、そして白髪葱に糸唐辛子。
「あとは、星です」
少しお茶目に堀内さんが取り出したのは、その言葉通り、赤い星。
「丼の星に合わせてトマトのピューレで作りました。味自体はうすーくしてラーメンに移らない程度です」
白いスープで隠れてしまった大きな星の代わりに、一回り小さな星が丼を彩るという遊び心溢れる趣向だ。

堀内さんの遊び心は、実は店内の至るところにちらりちらりと顔を見せている。
例えば、カウンターに備え付けられたブラックペッパーのミル。よくある両手で回すものではなく、片手でボールペンのようにノックすることで胡椒が挽かれるタイプなのだ。オールステンレスで高級感があり、ペッパーミルとしてはかなり変わっている。
そして更に注目すべきは、そのペッパーミルが収められているカウンターの棚。ステンドグラスのようにガラスのキューブが嵌め込まれた印象深いデザインのそれは、なんと堀内さんがDIYして作ったものだという。

「ラーメン屋」としての新たなキャリアをスタートさせるのは、キャトルの店舗も一緒だ。
静岡の代官山とも呼ばれるほどに洒落た街のテナントだけあって、入り口にのれんの掛かったような所謂「ラーメン屋」とはまるで違う。道行く人の視線を集めるスタイリッシュなバルが営業していたこともある。
実は、堀内さんはかつてこの店がそんなオシャレなバーだった頃に足を運んだことがあり、店の雰囲気に惚れ込んだのだそう。
不動産屋で物件を探している最中、そんな思い出のある店舗が空いている事を知った。そのときは残念ながら先客がいたのだが、今回キャトルを開くにあたってその店が再び空きテナントとなったため、浅からぬ縁を感じた。

空前にして、おそらく絶後。
異色すぎる、しかし誠実なラーメン店。

【キャトル詳細】
所在地:静岡市葵区鷹匠三丁目10-2志村ビル1F
営業時間:8時30分〜
定休日:不定休