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静岡県の地名の由来~一番町小学区~

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東西南北に大きく広がる静岡県。その地名は非常に多くあり、また変わった地名も数多く存在します。
静岡在住の方であれば、仮に難読な読み方をする地名も簡単に読めるでしょうが、他県の人からすれば頭を悩ますことでしょう。

しかしその地名のルーツや由来となった事柄に関してはほとんどの人が分からないのではないでしょうか。
そこでその地名に決まるまでどういった経緯があったのかについて地域別にご紹介したいと思います。

今回は『一番町小学区』を特集します。

この学区のほとんどの町名は、江戸時代以来の古い町名を引き継いでいます。
学区の南西半分は武家屋敷が有り、それを囲むように職人たちの町が形成されていたようです。

【葵町の由来】

古くは「片町七軒」といわれ、七間の家がとびとびに片側にあっただけという寂しいところでしたが、東海道線の静岡駅新設が始まると、紺屋町にいた徳川慶喜はその騒音を避け、西草深に移転しました。

その際に元々西草深にいた住民たちは集団移転を余儀なくされ、移ってきたのがここ葵町になりました。当時は「草深代地」や「新草深」と呼ばれていましたが、その後大正天皇の即位式記念に徳川家の家紋、「葵の御紋」にちなんで葵町と称することになりました。

【研屋町の由来】

これは読んで字の如くというべきでしょうか。江戸時代の初めに徳川家康が刀の研師を京都から連れて来た際に、この町に住まわせ御用の刀を研磨させたのが町名のルーツとなります。

そもそもなぜ研師を住まわせるのにここを選んだかというと、この町の井戸水が極めて綺麗だったからのようです。

【一番町・二番町の由来】

ともに明治維新後に旧幕臣たちが住んだ町のようで、番長とは元々侍屋敷を意味していました。

明治維新後は北番町と南番町となりましたが、その後安西通りが開通したことにより一番町、二番町となりました。

【住吉町の由来】

もともと番町に属していましたが、大正に改称し、住吉町としました。
名前の由来は同地区にある住吉神社からであります。

住吉地区の一帯は安倍川や藁科川の水害多発地だったため、それを防ぐ願いを込めて住吉神社を創設しました。

【大工町の由来】

「だいくちょう」と読みます。
駿府城の御用を勤めた大工職の人達が住んでいたのでそう呼ばれました。

諸役御免で大工以外の勤労奉仕も一切免除されました。ただし、同じ町内でも大工以外の者にはこの特権がありませんでした。
今日も職人たちが多く住んでいる町です。

【錦町の由来】

かつては通り研屋町といっていましたが、大正に改称され、錦町となりました。
錦というのは縁起が良いということで命名されたと思われます。

もともとはこちらにも研師が多く住んでいたようです。

【柚木町の由来】

こちらは「ゆのきちょう」ではなく「ゆずのきちょう」と呼ばれていました。

昔、安西との境の土手に柚子の大木があったので町名になったという説と、安西四丁目にある大林寺がかつてこのあたりに存在し、寺が移っても柚子の木が残ったからという説があります。
昔からある小さな町です。

【土太夫町の由来】

「どだゆうちょう」と読みます。
昔、土太夫という人物が住んでいたのが町名の由来といいますが、浅間神社に関係のあった人らしいという以外分からない何ともあやふやな町名の起こりです。

町内にある桜守稲荷に土太夫を祀ってあるそうです。

【上桶屋町】

家康公在城時代に桶屋惣右衛門という桶職人の棟梁が居住していたのが町名の起こりのようです。
桶職人の町はもう一つ、下桶屋町というのがありましたが、区画整理により昭和町に含まれ消滅しました。

【茶町の由来】

安倍、藁科の山中から生産したお茶を売買する商人が多く住んでいるのでそれが町名となりました。
現在でも多くのお茶販売業者が軒を連ねています。

【屋形町の由来】

戦国時代に今川氏の館があったからという説もありますが、応仁の乱の後、荒廃した京都を逃れて駿府の今川氏を頼ってきた公家たちを集住させたという説のほうが有力のようです。

江戸時代には全町が町奉行の組与力衆に与えられた屋敷ばかりで一般の家は一つもありませんでした。
以上が一番町小学区の地名の由来・ルーツになります。

あなたの住んでいるところは有りましたか?
自分で調べてみるのも面白いかもしれませんよ。
参考文献

飯塚伝太郎著
長倉智恵雄補筆
『しずおか町名の由来』