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静岡県の地名の由来~賤機南・賤機中・賤機北小学区~

竜爪山

東西南北に大きく広がる静岡県。その地名は非常に多くあり、また変わった地名も数多く存在します。

静岡在住の方であれば、仮に難読な読み方をする地名も簡単に読めるでしょうが、他県の人からすれば頭を悩ますことでしょう。
しかしその地名のルーツや由来となった事柄に関してはほとんどの人が分からないのではないでしょうか。

そこでその地名に決まるまでどういった経緯があったのかについて地域別にご紹介したいと思います。

今回は『賤機南・賤機中・賤機北小学区』を特集します。

静岡市の山間部には古来、布を織ることを職業とする人達が住んでいました。
それらの人達は7世紀頃大陸から渡来した人達の子孫が多く、機織りの特殊技術を身に着けていました。

麻機、羽鳥(服織)、賤機などはそうした生産活動にちなんだ古い地名です。
また織られた布を「倭文(しずり)」または「しずはた」と呼んでいました。

【松富上組の由来】

江戸時代の初期には「まつずみ」と読まれていましたが、天保の時代に「まつどみ」と読み方が変わったそうです。

江戸時代に石切場というところがあり、駿府城拡張工事の際には石垣の石を切り出したところと言われています。
その頃には山には松がたくさん生えていて、街道沿いには耕地も広く豊かな暮らしであったため、自然と松富の名が付けられたようです。

近年は急激に人口が増え、すっかり市街化しました。

【福田ヶ谷の由来】

福田ヶ谷から下、門屋、牛妻と安倍川沿いに帯状に存在する4つの集落は古文書に美和郷だと言われていました。
地名の由来は、今も昔も同じように、幸福を願うような思いを込めたものようです。

【下の由来】

門屋、牛妻に対して南隣する村だから下村と言ったようです。
下にある小さな湖、「鯨ヶ池」があることで知られています。

鯨ヶ池の伝説も有名です。

【門屋の由来】

徳川家康公の駿府在城時代、梅ヶ島、井川など安倍奥の金山開発に伴ってこちらに関所を置き、産出金の持ち出しなどの監視を行いました。
「御関所」あるいは「御留所」と言い、またこれを「門家(もんや)」と称し、後に現在の読み方の「かどや」となったようです。

また、一説には谷に面した角地だから角谷といったともいいます。

【牛妻の由来】

地名の起こりは古く、牛妻伝説で知られています。
この伝説もまた鯨ヶ池の伝説と同じく「牛」が主人公です。

背後には竜爪山系を背負っており、修行者や聖人など山岳信仰にまつわる伝承が多いです。

《牛妻伝説》

竜爪山中に住む僧道白に祖益という弟子がいました。

いつも托鉢に行くか今川屋形の小萩という奥女中に恋心を抱くようになりました。
しかし「不邪淫戎を破ると畜生道に落ちる」と師にさとされ、思い焦がれて死んでしまった。

死後3年経って、師の前に黒牛が現れ、あたかも人間の弟子が仕えるようになつきました。
師はこの牛の乗って托植に出掛けたり、角に手紙や銭をゆわえて府中への使いをさせたりしました。

夜になると牛は、ふもとの丹野村の農家の軒下で眠りました。丹野は小萩の在所で、小萩は今川屋形からひまをもらい帰って行きました。

祖益の恋を知る里人は、牛になっても尚、小萩を慕うのを哀れみました。
道白もこれをあわれみ、牛に戎を与えると、牛は一言人間の言葉で礼を言い、息絶えました。

このほかにも竜爪山周辺の地名には道白と牛とにちなむ地名がいくつかあり、農耕にとって牛の役割がいかに大きかったのかということを物語っています。

【郷島・野田平の由来】

古くは一つの村であったと言います。地名の由来は定かではありませんが、いずれも地形からきた名であると言われています。
読み方は「ごうじま」と「のんだひら」です。

【俵峰・俵沢の由来】

平峰は竜爪山と真富士山の鞍部の平にある集落で、その地形から「平ら峰」といったのが、「俵嶂」になったのだと言われています。
俵沢は俵峰の下の沢という意味です。

【油島】

油は湯の意味で、温(鉱)泉が湧きだしたことから地名となりました。ずっと昔は湯島と言っていたようです。

倍川筋にはこのほか油山や油野という地名が残っていますが、いずれも温泉にちなんだ地名だと言われています。

以上が『賤機南・賤機中・賤機北小学区』の地名の由来・ルーツになります。

あなたの住んでいるところは有りましたか?
自分で調べてみるのも面白いかもしれませんよ。
参考文献

飯塚伝太郎著
長倉智恵雄補筆
『しずおか町名の由来』