静岡スタイルは、静岡クレールに新しく変わりました!

静岡県民も知らない地名のルーツ。『地名・美人ヶ谷・接待茶屋』

敷地面積が非常に大きく、政令指定都市が2箇所もある静岡県は、四方八方沢山の地域に地名が存在し、県民の多くは自分が住んでいる場所以外の地名は分からないといった人が極めて多いです。

難読なものや、ルーツや由来が変わっていたり、間違って認識していたりと。

さて、そこで県民も知らないような変わった地名やそのルーツについて深く深く掘り下げてご紹介します。

今回取り上げるのは、『地名、美人ヶ谷、接待茶屋』です。

《地名》

これは榛原郡川根本町に実際にある場所です。

さて、なんて読むのでしょうか。
これは「ちめい」ではなく「地名」と読みます。

大井川鉄道大井川本線の駅名にも「地名駅」があるので鉄道マニアの諸君の中には知っている人もいるようです。
さて、「地名駅」は無人の駅ですが、「日本一短いトンネル」があることで知られています。
長さはおよそ7メートルから8メートルと言われています。

もともとこちらの地域には物資輸送用のケーブルが有りましたが、その時に荷物の落下などで下の線路を傷めないために交差する位置に造られたトンネルのようです。

物資輸送用のケーブルはその後に廃止されましたが、このトンネルだけは、その後も堂々とこの地に残っています。
色鮮やかな山々を背負ったそのトンネル付近の景色は、産業遺跡かのような趣があるようです。

なお、日本一短いトンネルと謳われているトンネルはこちら以外にもあるようで、正式に日本一と定められてはいないようです。

さて、「地名」の由来ですが、戦国時代からあるものの、その由来ははっきりされていません。
文献を見ると、かつては「字名」とも表記されていたようで、志太郡地名村として存在し、以降大字名となりました。

平成になってすぐ廃校となってしまった中川根町立地名小学校は地名のシンボル的存在でした。

《美人ヶ谷》

静岡県は掛川市。

掛川駅から北へと伸びる県道を進むと上西郷という大字に辿り着きますが、そこには日本でもこちらだけしか見られない変わった地名があります。
それは「美人ヶ谷(びじんがや)」です。

安直に考えれば、美人が多く住んでいた地域のため、この地名になったというのが由来とされると思いますが、調べてみると以下のことが分かりました。

地名の由来となっったのは「鬢ぜヶ谷(びんぜがや)」とされています。「鬢」とは髪の毛の部分的な意味を表すようですが、相撲取りが髷を結うときに使う鬢付け油の鬢であるようです。

江戸時代からこのように呼ばれていたようです。
これが百数十年の歴史を超えて、「ひじがや」に転化し、その後美人ヶ谷と漢字表記されるようになったと云います。

また、もう一つの説として、旅人の二階堂と言う者がこの地に移住し、その後観音堂を建てました。彼には戸塚という家来がおり、その家来が絶世の美女と言われた照子と言う女性と結婚。

その後二人は商売をはじめて店は大繁盛、看板娘の照子を見て、人々は「美人のいるところ」とよばれ、「美人ヶ谷」と言われるようになったと言います。

男性としては後者の意見に期待を持ちますが、それはそうとして多くの地名が有る日本において、この地名はここだけしか無い唯一無二のものなので、今後も合併や区画整理などはあっても、後世に伝承してもらいたい地名の一つです。

地名②

《接待茶屋》

静岡県は三島市から、神奈川県に入るには長い長い峠を超えなければなりません。
言わずも知れた箱根峠です。

今でこそ道路が舗装され、車やバスでの移動が可能となりましたが、今から200年ほど前は車などはおろか、道も荒れ果て、東海道線が開通するまでそれはそれは困難を極めた峠でした。
しかしここを越えざるをえない者は多くありました。

それを見かねた商人が自腹を切り箱根峠の近くに接待茶屋を築いたのでありました。
これが接待茶屋の始まりです。今でこそ「接待」というのは堅苦しい意味となりましたが、当時接待というのは、単にもてなすという意味しか含まれていませんでした。

それまで箱根峠を超える旅人や荷物を運搬する馬はこの峠を危険を伴いながら超えていました。

しかし接待茶屋が設けられたことにより、馬には草が与えられ、冬には旅人にお粥をあげ焚き火などをしてもてなされました。
まさに命を繋ぐ安らぎの場所であったようです。

ところが運用資金は底をつき、泣く泣く閉鎖を余儀なくされましたが、これを見かねた村の当主が峠越えで苦しんでいる人や馬を目の当たりにして接待所の必要を感じ、再開を願いました。
その後当主は没しましたが、彼の意思を継いだ門人達により、接待所は再開されました。

その後、時代の流れとともに峠越えの困難さも減り、接待所を利用する人は減少、150年続いた接待茶屋は幕を下ろしました。

現在接待茶屋で使われた食器などは、三島市の郷土資料館に保管され、接待茶屋の精神は大切に守られています。
現在「接待茶屋」の地名はありませんが、バスの停留所にその名が残されています。

以上が静岡県の変わった地名とその由来です。

自分の知らなかった場所かもしれませんが、その由来を知ると中々楽しかったり興味が湧いてくるかもしれません。
どれも静岡県内であるため、ルーツ巡りや観光などにも適しているかもしれません。
是非とも行かれてみてはどうでしょうか。
参考文献

日本地名の会 著
静岡県民も知らない地名の謎