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静岡県民も知らない地名のルーツ。『森町・牧之原市』

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敷地面積が非常に大きく、政令指定都市が2箇所もある静岡県は、四方八方沢山の地域に地名が存在し、県民の多くは自分が住んでいる場所以外の地名は分からないといった人が極めて多いです。

難読なものや、ルーツや由来が変わっていたり、間違って認識していたりと。

さて、そこで県民も知らないような変わったルーツを持つ地名をご紹介します。

今回取り上げるのは、『森町・牧之原市』です。

《森町》

小國神社があることでも知られ、「遠州の小京都」とも称される周智郡森町。
静岡県でも上位に位置するであろう歴史を持つ町ですが、この森町の由来についてご説明します。

森町の「森」というのは中世の郷村名によるものですが、古事記に見える景行天皇の子孫「守ノ君」に由来するといいます。
また、かつての森町は、東、西、北の三方向を鬱蒼と茂る樹木の覆われていた里という事から「三木の里」とも呼ばれていたようです。

小國神社は森に囲まれた大社ですが、昔の森町にはこのような森が広がっていたのかもしれません。

《牧之原市》

平成の大合併により、相良町と榛原町が合併し誕生した町です。
相良牧之原インターチェンジ、御前崎港、富士山静岡空港を要し、陸海空三つの玄関口を備えた子として知られています。

さて、市名の由来となったのは、市の北部に広がっている牧之原台地です。
はじめて遠江に牧場が置かれたのは、天武天皇が政権を振るっていた675年以降の事で、この当時の牧場は、「白羽牧」と呼ばれ、朝廷へ献納するための馬が飼われていました。
その後、律令の改正によって、私墾田が増えてくると、牧場も縮小を余儀なくされ、付近の村人により牧場が営まれるようになりました。

牧場の範囲は次第に西部へと広がり小笠山の周辺には「笠原牧」と呼ばれる牧場が形成され、相良地方へも広がっていきました。
この時、市営の牧場が台地にそって営まれるようになったことからいつしかこの台地は「牧之原」と称されるようになりました。

この牧之原という地名が一般的になったのは、鎌倉時代末期か、室町時代初期に当たるといいます。

また、牧之原の地名の由来には諸説あり、牧之原はもともと「諏訪ヶ原」や「金谷台」と呼ばれていましたが、徳川家康が「牧野ヶ原」と改めたという説もありますが、この時牧之原の称されていた地域は、現在の牧之原の北部の一部のみを指して呼んでいたに過ぎないので、牧之原台地全体を指していなかったことから、前者の説が比較的有力となるわけです。

現在牧之原は、温暖な気候と日照時間の長さから、お茶の一大産地として知られています。
しかし今日の牧之原があるのには先人達の惜しみない努力があったためだと言うことを最後にご紹介します。

江戸幕府崩壊後、徳川家とともに静岡へ移ってきた家臣たちでしたが、何せ仕事がありませんでした。
時代は明治へと変わっており、武士の時代はとうの昔に終わってしまいました。

そこで静岡藩では殖産興業の波に乗り、お茶栽培を始めるに当たり、家臣たちを土地の開拓に遣いました。

しかし、荒れ果てた土地のため、開墾は非常に難しく、もともと300戸あった家族は100戸ほどに減ってしまいました。
それでも諦めなかった家臣たちが徐々に開拓地を広げ、現在の牧之原台地の基礎が出来たようです。

以上が静岡県の変わったルーツを持つ地名とその由来です。

自分の知らなかった場所かもしれませんが、その由来を知ると中々楽しかったり興味が湧いてくるかもしれません。
どれも静岡県内であるため、ルーツ巡りや観光などにも適しているかもしれません。
是非とも行かれてみてはどうでしょうか。
参考文献

日本地名の会 著
静岡県民も知らない地名の謎