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静岡県民も知らない地名のルーツ。『貝伏・登呂・富士山』

敷地面積が非常に大きく、政令指定都市が2箇所もある静岡県は、四方八方沢山の地域に地名が存在し、県民の多くは自分が住んでいる場所以外の地名は分からないといった人が極めて多いです。

難読なものや、ルーツや由来が変わっていたり、間違って認識していたりと。

さて、そこで県民も知らないような変わった地名やそのルーツについて深く深く掘り下げてご紹介します。

今回取り上げるのは、『貝伏・登呂・富士山』です。

《貝伏》

こちらは静岡市清水区のはるか山奥にある地名で由来は「甲斐の武士」のようです。
山梨県の武田軍が駿河を落とそうと派遣した武将でしたが難なく返り討ちにあいこの地に身を寄せたようです。

静岡県は南部は海、北部は山で覆われており、他県からの出入りや、身をおくのは山間部である北部が望まれ多くの負け武将たちが静岡県の北部に身を置いていたようです。

今や観光名所である大井川の上流の寸又峡も又、こういった歴史的背景が色濃く残っており、鮮やかな大自然を背負っています。

また西里には「伏木」という地名もあるようで落人の格好の住処となったのが見て取れます。

《登呂》

今や静岡県はおろか、全国的にも有名な静岡市は登呂。
登呂遺跡は実は太平洋戦争の真只中に発見されたことを知っているでしょうか。

もともとこちらの地域には軍需工場として住友金属のプロペラ製造工場が建設される予定でしたが、工事中、水田を1メートルほど掘り返すと、数多くの木製品が出土し水田跡と見られる杭列も発見され工事は中断、遺跡は保存されました。

太平洋戦争が終わった後、時間をかけ発掘作業を行った所、遺跡からは木製の農機具や壺、龜、石製の工具、機織具などの他、勾玉や銅環などの装身具も発見され「登呂」の名は全国的に有名になりました。

さて、この「登呂」の由来ですが、水がトロッとしたことによるようです。
登呂遺跡のすぐ西側には安倍川が流れ、現在の海岸線までは1.3キロほどでした。

つまりかつての登呂の集落は、水辺に極めて近い位置にあったわけで、水が語源となったのは言うまでもありません。

この地に住んでいたのはおよそ60人ほどとされていて、水田を中心に村が形成されたようです。

この「トロ」という響きは何もこの地域だけに見られるものではなく、埼玉県や奈良県でも似たような意味で使われていたようです。

fujisan

《富士山》

静岡県が世界に誇る名山。世界遺産登録によってもはや富士山=日本の象徴とまで言われている文化的価値が非常に高い山です。

さて、この霊峰富士ですが、実は名前の由来は定かではありません。
いくつか挙げてみますと、「不死説」、「藤説」、「アイヌ語説」、「マレー語説」、「富久士説」などがあります。

①不死説

語源の説の中でも最も広く知られ、「竹取物語」で発したものです。
かぐや姫が置いていった不老不死の薬を富士山で焼いたことにより命名されてという説です。

②藤説

富士山の山裾がまるで藤の花が垂れ下がっているように美しく見えることから生まれた説です。

③アイヌ語説

アイヌ語の「吹き出す」や「裂ける」という意味である「プシ」を語源とする説です。

④マレー語説

「素晴らしい」という意味の「プジ」に由来するという説です。

⑤富久士説

「天高く聳え立つ」という意味を持つ「富久士」から取られたとする説です。

これだけ見ても、どれも信憑性がありそうで、またなさそうですのではっきりしません。

さて、ではなぜルーツが分からないのか。
それははるか昔から富士山が日本の象徴として君臨し、多くの人から崇高な存在だと崇められていたからではないでしょうか。

由来を巡り論争を起こすことさえ恐れ多い存在として、古代から私達の生活を見守ってきたのではないでしょうか。
富士山が初めて書物に登場したのはおよそ1000年以上も前のことで、太古の昔から静岡県にありました。

ちなみに富士山というのは広く見た山の名でその山頂は存在しません。
山頂を形成するのは剣ヶ峰や白山岳、大日岳、駒ケ岳などの峰々であり、富士山の高さとされる3776メートルは剣ヶ峰の高さのことです。

以上が静岡県の変わった地名とその由来です。

自分の知らなかった場所かもしれませんが、その由来を知ると中々楽しかったり興味が湧いてくるかもしれません。
どれも静岡県内であるため、ルーツ巡りや観光などにも適しているかもしれません。
是非とも行かれてみてはどうでしょうか。
参考文献

日本地名の会 著
静岡県民も知らない地名の謎