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静岡県民も知らない地名のルーツ。『三保・狩宿・安倍川』

地名8

敷地面積が非常に大きく、政令指定都市が2箇所もある静岡県は、四方八方沢山の地域に地名が存在し、県民の多くは自分が住んでいる場所以外の地名は分からないといった人が極めて多いです。

難読なものや、ルーツや由来が変わっていたり、間違って認識していたりと。

さて、そこで県民も知らないような変わったルーツを持つ地名をご紹介します。

今回取り上げるのは、『三保・狩宿・安倍川』です。

《三保》

静岡市は清水区三保。
清水区の名だたる観光スポットを抜いて今最も観光客に喜ばれるのは「三保の松原」でしょう。

世界遺産の富士山の構成資産として登録されてからは連日観光客が耐えません。
それもそのはず、三保の松原から見える富士山は非常に美しく、波の音を聞きながら富士山鑑賞に浸るのは何とも優雅な気分になります。

また、御穂神社から松原に向かって伸びる500メートルほどの道は昼と夜とでは全く表情が違い、これもまた観光客に喜ばれる要因です。

さて、三保の地名の由来ですが、先述の御穂神社の「御穂」が「三保」に転化したと思われる説や、現在の三保松原を有する州が美しい穂の形をしていることから「美穂」が「三保」なったという説もありますが、どれもいまいち根拠にかけ、その語源の由来ははっきりされていません。

しかし「三保」という名前が初めて出たのは万葉集の中なので今からおよそ1300年ほど前に遡ります。
従って、「御穂」や「美穂」が何かしら転化し「三保」になったのではないかという説は、どこか説得力にかけ、最初から「三保」と呼んでいたと思われます。

《狩宿》

狩宿とは静岡県は富士宮市に存在する地名です。

ここで最も有名なのは、「狩宿の下馬桜」ではないでしょうか。
樹齢は既に800年以上は経過したものだと言われ、この桜のルーツは源頼朝にあります。

源頼朝が自らの馬を繋いだヤマザクラの木として伝えられ、そのことから別名を「駒止めの桜」ともいいます。
ではなぜ、頼朝はこちらに立ち寄ったのか。

それは狩りの帰りだったようです。

江戸幕府の徳川家康公が大の鷹狩りであったように、源頼朝も狩り好きで知られ、度々富士山の裾野で大規模な狩りを行っていたようです。
源頼朝が好んだのは「巷狩り」と呼ばれるもので、多数の人が協力して獲物を追い込み捕獲をするというやり方です、後世に「富士の巷狩り」として残されています。

さて、そんな頼朝ですが単に狩猟だけを楽しんでいただけではなく、狩りを自らの権力の誇示するため、また軍事演習を行うためともしていたようです。

富士宮市にある狩宿という地名ですが、御殿場での狩りを終えた頼朝が富士に入り急速するために建てた「仮屋」に由来しています。

つまり「仮屋」が「仮宿」となり、その又後に「狩宿」となったという説がどうやら正しいようです。
こちらのヤマザクラは国内最古の物と言われ、国の特別天然記念物とされ、シーズンには多くの観光客で賑わいます。

《安倍川》

静岡市を大きく分断する安倍川。

以前は現在の静岡の街中を通っていたようですが、度重なる改修を行い現在の位置へとなりました。
流域面積は約567平方キロメートルと圧巻。

多くの支流を持ち昔から人々に親しまれてきました。

そんな安倍川ですが、実のところその語源というのは定かになっていませんが、既に今から1200年ほど前から「安倍」という文字が使われていたので、かなり古い地名であるといえます。

また、安倍川は、藁科川から独立した非常に複雑な流れを形成していた川だったとされ、支流を含めた複数の河川の総称でありました。

その理由により、「賤機川」、「北川」、「妹川」、「横雄川」などと言った異名も持ち合わせていたようです。

先述したように、安倍川は以前に静岡の街中を堂々と流れており、そこの中洲には静岡天満宮が建てられました。

安倍川の流れがまだ定まらなかった頃、流れの中にはひときわ目立つ石があったようで、それがいつしか天の降臨する所に祀られ「川中天神」と呼ばれるようになりました。
尚、静岡天満宮のある副区呉服町の地下には天神様の形をした大きな石が埋まっているという伝説があります。

以上が静岡県の変わったルーツを持つ地名とその由来です。

自分の知らなかった場所かもしれませんが、その由来を知ると中々楽しかったり興味が湧いてくるかもしれません。
どれも静岡県内であるため、ルーツ巡りや観光などにも適しているかもしれません。
是非とも行かれてみてはどうでしょうか。
参考文献

日本地名の会 著
静岡県民も知らない地名の謎