静岡県の地名の由来~城内小学区~
東西南北に大きく広がる静岡県。その地名は非常に多くあり、また変わった地名も数多く存在します。
静岡在住の方であれば、仮に難読な読み方をする地名も簡単に読めるでしょうが、他県の人からすれば頭を悩ますことでしょう。
しかしその地名のルーツや由来となった事柄に関してはほとんどの人が分からないのではないでしょうか。
そこでその地名に決まるまでどういった経緯があったのかについて地域別にご紹介したいと思います。
今回は『城内小学区』を特集します。
【城内町の由来】
もともと追手町に一角に位置していましたが、住居表示の施工により駿府町とともに分離、旧駿府城の中堀沿いに位置しているため文字通り「城内町」とその名が付けられました。
【駿府町の由来】
城内町と同じく、住居表示の施工により追手町から分離しました。
ここも駿府城の中堀と外堀沿いに位置しているためその名が付けられました。
【馬場町の由来】
「ばばまち」ではなく、「ばばんちょう」と読みます。
駿府城付属の馬場があったという説と、浅間神社の二十日会祭のとき流鏑馬が行われたという説とがありますが、どちらも本当のことのようです。
【富士見町の由来】
馬場町の一部と富士見横町が分離独立した町で、もとは文字通り富士山が良く見えたであろう土地ですが、現在は高層ビルに囲まれ何も見えません。
【車町の由来】
徳川家康公が駿府城築城の際、資材運搬等のために牛飼い(牛車運送人)を呼んで住まわせたのが町名の始めと言います。
その後この牛飼い達は安西五丁目に移され左官やとび職などが住むようになりました。
安西五丁目はその後俗に牛町と呼ばれ比較的近年まで牛車運搬を生業としている人達が住んでいました。
【中町の由来】
元々本通四ツ足町と言われていたみたいですが、語感が悪いということで、市の中央部と言うことから中町と称されました。
この四ツ足町の由来ですが、今川時代に駿府館の四ツ足御門のすぐ前の町だからという説と、もっと古くは国府の四脚門があったからという説がある。
【金座町の由来】
もともと上魚町でしたが、昭和三年に金座町と改めました。
上魚町とは今の常盤町付近にある下魚町に対して上(北)に位置しているためこう呼ばれました。
【水落町の由来】
駿府城の堀の水が流れ落ちるので町名となりました。
明治初年までは旧士族の屋敷が多く有りましたが、現在はその面影すら無くなり、住居表示まで一丁目から三丁目に分かれていましたが、今は町名など無くなりました。
【浅間町の由来】
浅間神社に近いことからこの町名となりました。
【丸山町の由来】
旧安東村の字名をそのまま町名としましたが、徳川家康公が京都の丸山に似ていると言ったのがルーツとされています。
【長谷町の由来】
これも旧安東村の小字名がそのまま町名になりましたが、古代駿河の国府庁舎が置かれて庁屋と言ったので、同音の長谷を当て、それがいつの間にか「はせ」と呼ぶようになったといいます。
【安東の由来】
旧安東村の頃から早く市街化した地域で、現在は五区に分かれています。
町名の由来は安倍川本流の東側に位置しているため、自然とそう呼ばれるようになりました。
以上が城内小学区の地名のルーツと由来になります。
あなたの住んでいるところは有りましたか?
自分で調べてみるのも面白いかもしれませんよ。